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浦和地方裁判所 平成5年(ワ)61号 判決

原告

千葉勝治

千葉久美子

右両名訴訟代理人弁護士

三森淳

右訴訟復代理人弁護士

塩生三郎

宮崎良昭

被告

埼玉県

右代表者知事

土屋義彦

右訴訟代理人弁護士

鍛冶勉

主文

一  被告は、原告らに対し、各金八四五万四一四二円ずつ及びこれらに対する平成四年五月二日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告らのその余の請求を棄却する。

三  訴訟費用は、これを四分し、その一を原告らの負担とし、その余を被告の負担とする。

四  この判決一項は、仮に執行することができる。

事実及び理由

第一  請求

被告は、原告らに対し、各金一一八六万二八〇〇円ずつ及びこれらに対する平成四年五月二日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

第二  事案の概要

本件は、県立高等学校の生徒のクラブ活動中の死亡事故につき、その生徒の親である原告らが、主位的には国家賠償法二条に基づき、予備的には同法一条に基づき、学校設置者である被告に対し、損害賠償を求めた事案である。

一  前提事実(争いがある点は、各項末尾掲記の証拠により認定した。)

1  原告らの子である千葉浩司(以下「浩司」という。昭和五〇年八月二〇日生)は、平成四年五月一日当時、被告の設置する埼玉県立上尾東高等学校(以下「上尾東高」という。)の二年生であった。

2  浩司は、同日午後四時四五分ころ、上尾東高の校庭において、所属していた同校陸上競技部員として短距離走のスタートダッシュ練習の順番待ちをしていたところ、同じ部員としてハンマー投げの練習をしていた同校三年生の矢澤賢進(以下「矢澤」という。)の投げたハンマー(重さ5.45キログラム)に左後頭部を直撃され、翌二日午前一時ころ、頭蓋骨陥没骨折、脳挫傷により死亡した(以下、これを「本件事故」という。)。

3  本件事故当時の上尾東高敷地内の校庭等の配置状況は、別紙図面①(以下「図①」という。)表示のとおりであり、また、校庭内の事故発生場所付近の状況等は、別紙図面②(以下「図②」という。)表示のとおりである。

すなわち、図①、②のとおり、同校敷地の南東部に、ラグビーコート等を兼ねた陸上競技練習場があり、三〇〇メートルのトラックが配置され、さらに、そのトラック外(校庭南東隅)にハンマー投げ練習用の投擲サークル(以下「サークル」という。)とその周囲を囲う防護ネット(以下「本件防護ネット」という。)が北西方向を開けて設置され、その前面(北西方向)に投擲方向を示す角度約四〇度の扇形(その中心線は真北から西方向に約三〇度の線である。)が表示され、右扇形は、約一〇メートル先で前記三〇〇メートルトラックのラインと交差し、また、右扇形内には目標距離を示す四〇メートルラインが表示されていた。また、サークルの中心を基準に、右扇形中心線からの角度約六〇度、距離約四六メートルの位置を起点に、西方向に長さ約4.2メートルのスタートラインが設置され、そのラインから北方向へ、スタートダッシュ等の短距離走練習コースが設けられていた。さらに、同じ基準で、右扇形中心線からの角度約六五度、距離約三五メートルの地点の南西側には、走り高跳用のマットが置かれていた。

4  サークル及び本件防護ネットの設置状況は、別紙図面③(以下「図③」という。)表示のとおりであり、本件防護ネットは、高さ約四メートル、幅2.74メートルの鉄パイプ枠に金網が張られた構造物七枚が、図③のとおりの位置関係で、その先端を地中に埋められコンクリートで固められていた(乙一号証の二ないし五、一一、一三)。

そして、図③のとおり、本件防護ネットの開口部の幅は約六メートルであり、また、本件防護ネット先端とサークル中心とを結ぶ線が扇形中心線と作る角度は約三七度であって、投擲がサークルの中心で完了した場合(正確には、ハンマーが投擲者の手から放れる際の回転軸がサークル中心と一致する場合)、扇形中心線から左右に三七度以上逸れて投擲されたハンマーは、本件防護ネットの上を通過しない限り、右防護ネットに妨げられることになるが、ハンマーが手から放れる際の回転軸がサークル内に止まる場合でも、それがサークル外周に一致するときは、外周上の点と防護ネット先端を結ぶ線が扇形中心線と作る角度は最大で五〇度を超えることになり、その場合には、中心線から左右に五〇度も逸れて投擲されたハンマーでも、本件防護ネットに妨げられずに飛ぶことになる。このことは、さらに、回転軸がサークル内に止まらない場合においては、中心線から左右に五〇度を大きく超えるほど逸れて投擲されたハンマーでも、本件防護ネットに妨げられずに飛ぶ可能性があるということを意味する。

5  浩司が矢澤の投げたハンマーに直撃された地点(以下「本件事故地点」という。)は、図②表示のとおり本件防護ネット西先端から32.7メートル、サークル中心を基準にして、扇形中心線から左に約六五度の角度の地点(前記マットの北西角付近)である。

6  本件事故時、浩司及び矢澤は、放課後のクラブ活動として、陸上競技部の練習に参加していたが、同部の顧問である木下亨教諭(以下「木下教諭」という。)、漆原延江教諭(以下「漆原教諭」という。)は、いずれも同部の練習に立ち会っていなかった。

7  陸上競技種目としてのハンマー投げは、把手のついた長さ約1.2メートルのピアノ線の先端に鉄ないし真鍮製の殼に鉛等を詰めた金属球(本件事故時の球の重量は、5.45キログラム)を取り付けたハンマーを、直径2.135メートル(但し、本件事故時のサークルは2.5メートル)のサークル内から、体を回転させながら投擲し、サークル中心で交わる角度が四〇度の扇形(通常、白線で表示)内に落下させて、その飛距離を競う競技である(甲二三号証)。

ハンマーの一般的な投擲方法は、以下のとおりである。すなわち、投擲者は、まず、回転に入りやすくするため、通常二回、体の回りにハンマーを回し、ハンマーの頭部のスピードを上げる。その際、右利きの者は、ハンマーを時計と逆回りに回し、投擲者の前面に対し右側にハンマーの最下点(ロー・ポイント)が来るようにする。次に、投擲者は、ロー・ポイントの手前から回転に入り、サークル内で、徐々に回転軸、重心を移動させることによりハンマーの頭部を動かし、加速させていく。そして、三ないし四回転して、ハンマーに最大の速度を持たせたところで、ハンマーを手から放し、投げ出す。なお、投擲者は、投げたハンマーが地表に落下するまで、サークル外に出てはならない(その前に身体がサークル上部あるいはサークル外の地面に触れたら、試技は無効となる)。

そして、ハンマーの飛距離は、高校生の競技会でも、通常、優に四〇メートルを超えるのであり、平成三年の国体一次予選県南部地区大会における優勝記録は、上尾東高の生徒であった長田の49.22メートルであった(甲八、証人矢澤賢進)。

8  なお、原告らは、浩司が死亡したことに対する見舞金として、平成四年六月三〇日に日本体育・学校健康センターから金一七〇〇万円を、同年七月一六日に埼玉県高等学校安全互助会から金八四〇万円を、平成六年三月に矢澤の両親である矢澤進吾、矢澤よし子から金二五〇万円を、それぞれ受領した。

二  主な争点

1  本件におけるハンマー投げの練習場(以下「本件練習場」という。)は、それが通常有すべき安全性を欠いており、設置、管理に瑕疵があったといえるかどうか(主位的請求関連)。

(原告らの主張)

本件事故時、矢澤の投擲したハンマーは、本件防護ネットに妨げられずに本件事故地点まで飛び、浩司を直撃したものであり、右防護ネットは事故を防止するに足りる機能を有しなかったことになる。ハンマー投げの競技規則においても、防護ネット(囲い)の前方に、さらに移動パネルを取り付けるものとされているのであり、本件事故時にもこのような移動パネルが取り付けられていたなら、本件事故は防止することができたことが明らかである。そうすると、このような移動パネルの取り付けがない本件練習場は、それが通常有すべき安全性を欠いていたというべきである。

したがって、公の営造物である本件練習場の設置、管理に瑕疵があったというべきであり、被告は、国家賠償法二条に基づき、それにより生じた本件事故によって原告らの被った損害を賠償すべき義務がある。

(被告の主張)

本件練習場においては、本件防護ネットの先端を結ぶ線の手前から投げられたハンマーは、角度四〇度の前記扇形内に飛ぶのであり、たとえ投擲に失敗してその扇形の左に逸れて、三〇〇メートルトラックのライン方向に飛ぶことがあったとしても、そのラインを越えてさらにその左側にまで飛ぶことはない。そのラインを左側に越えるような角度で投擲されたハンマーは、必ず本件防護ネットに妨げられるのである。

原告らの主張する移動パネルは、公式競技の際に使用されるものであり、単に練習だけのときに使用する必要はない。

本件事故の際も、右線の手前から投げられるハンマーが本件事故地点方向に飛ぶおそれは全くなかったから、その可能性を予測することも不可能であり、したがって、移動パネルを使用して本件事故発生を防止する必要も全くなかったのであって、本件において、移動パネルを使用しなかったことが、本件練習場の設置、管理の瑕疵に当たるとはいえない。

2  本件事故の発生につき、放課後のクラブ活動としての陸上競技部の練習の指導、監督に当たるべき学校長、顧問教諭に、過失があるといえるかどうか(予備的請求関連)

(原告らの主張)

(一) 顧問教諭は、ハンマーを投擲する際、生徒らが、サークル内でハンマーを回転させるよう、また、それが手から放れる瞬間には四〇度の扇形内に飛び校庭のスタートラインやマットの方向には飛ばないよう、指導監督すべきであった。そのためには、ハンマーを投擲する位置や方向などを指示するとともに、失敗のないよう十分緊張して動作するように、事前に、更に現場で、指導監督すべきであった。しかるに、顧問教諭たる木下教諭、漆原教諭は、日頃からそのような指導を十分に行わず、右練習に立ち会うこともしなかったため、矢澤は、右扇形から大きく左に逸れてハンマーを飛ばすことになり、本件事故に至ったものであるから、両教諭には、右義務に違反した過失がある。

(二) また、そもそもハンマー投げは、ハンマーの飛ぶ方向の制御が困難で、危険な競技であるから、校長、顧問教諭は、浩司のように短距離走の練習をする者など、他の生徒を同じ時間帯に隣接した場所で練習させないようにすべきであった。しかるに、校長や前記顧問教諭は、ハンマー投げとスタートダッシュを同じ時間帯に隣接した場所で練習させ、本件事故を発生させたものであるから、右義務に違反した過失がある。

(三) 仮に、狭い校庭の近接した場所で練習をさせるしかないのであれば、学校長及び顧問教諭は、ハンマーが飛ぶ可能性の高い地域を避ける等、他の者の練習場所を調整すべきであった。そして、前記スタートラインや前記マットの周辺には、ハンマーが落下した痕跡があることからも明らかなように、本件事故以前にも、その付近にハンマーが飛んでいたのであり、それにもかかわらず、この事実を見逃して漫然、この付近でスタートダッシュの練習待ちをさせていたのであるから、練習場所の調整が適切でなかったというべきであり、校長及び前記顧問教諭には、右調整義務に違反した過失がある。

(被告の主張)

原告らの主張(一)ないし(三)は、すべて争う。

(一) 木下教諭らは、ハンマー投げの練習の際、補助者を置き、補助者が前方の安全を確認して「ハイ」と大声で合図してから投擲を開始するように指導していたのであり、また、万一、投げられたハンマーの方向に人がいて危険な場合には、投げた者と補助者が大声で危険を知らせるようにも指導していた。そして、本件事故時にも、このような安全確認はなされており、顧問教諭らの安全指導に欠けるところはなかった。

また、矢澤は、定められたとおりサークル内から投擲動作に入ったものであるから、たとえ、顧問教諭が投擲時に立ち会っていたとしても、その投擲を中止させる可能性はなかったのである。

(二) また、本件防護ネットが設置されている以上、前記スタートラインや前記マット方向にハンマーが飛ぶ可能性はなく、これまでもこの方向に飛んだ事実もなかったから、顧問教諭らはハンマー投げの練習と同時に右区域でスタートダッシュの練習をさせることに危険はないものと判断したものであって、この点にも原告らが主張するような過失はない。

3  本件事故に関し、原告らが被告に請求しうる損害の額はどれだけか。

(原告らの主張)

次のとおり、原告各自につき金一一八六万二八〇〇円ずつである。

(一) 逸失利益 各一四八四万二八〇〇円

浩司は、事故当時満一六歳であったから、高校卒業時の一八歳から六七歳までの就労可能年数四九年であり、男子の平均年収一七八万五六〇〇円を基準に、生活費控除率を三割として新ホフマン式(係数23.75)により、その逸失利益の現価を求めると金二九六八万五六〇〇円となり、原告らは、その二分の一ずつを相続した。

(二) 慰謝料 各九〇〇万円

浩司の死亡による慰謝料は、一八〇〇万円(原告ら各九〇〇万円ずつ)が相当である。

(三) 葬儀等費用 各一〇〇万円

原告らは、浩司の葬儀等費用として六〇八万九一七二円を支出したが、少なくともその内二〇〇万円(原告ら各一〇〇万円ずつ)は、本件事故による損害である。

(四) 損害の填補 各△一三九五万円

前記事実8のとおり、本件事故に関し、原告らは日本体育・学校健康センター等から合計二七九〇万円の支払を受けたから、その二分の一ずつを前記損害の填補として充当する。

(五) 弁護士費用 各九七万円

原告らは、本件訴訟の提起、追行を弁護士たる原告訴訟代理人に委任したから、それに要する費用のうち一九四万円(原告ら各九七万円ずつ)は、本件事故による損害に当たる。

4  浩司にも、本件事故の発生につき、過失があるかどうか

(被告の主張)

浩司は、高校二年生だったのであるから、自分の周囲の状況を見て、危険が発生するおそれがあるかどうかを判断し、そのおそれがあるときはそれを避ける行動をとる能力があったはずである。それなのに、浩司は、ハンマー投げの練習が行われていることを知っていながら、スタートダッシュ練習用のスタートラインから九メートルもサークルに近い、前記マット北西付近(本件防護ネット西端から約三二メートル付近)で漫然と順番待ちをしていたため本件事故に至ったものである。

(原告の主張)

浩司が順番待ちしていた場所が不適当であったために本件事故に逢ったとの被告の主張は争う。

三  証拠

本件記録中の書証目録及び証人等目録記載のとおりであるから、これを引用する。

第三  争点に対する判断

一  争点1(本件練習場の設置、管理瑕疵の有無)について

1  高校生の行うハンマー投げ競技は、把手のついた約1.2メートルのピアノ線の先端に結ばれた五キログラムを超える重量の金属球を約四〇メートル近くも飛ばすものであり、これが他人に衝突するときは、生死に係わるような重大な結果が生じることは見やすいところであるから、これを練習する場所の設置、管理に当たる者には、衝突事故の防止、安全の確保に、細心の配慮が要求されるというべきである。

2  そして、本件練習場は、他から区分された専用区域にはなく、校庭内のラグビー場と兼用の陸上競技場の東南隅にサークルを設け、そこから北西方向に投擲を行うこととされ、その落下地点は、三〇〇メートルトラックのライン内となることが当然に予定されていたのであり、しかも、ハンマー投げの練習自体も、陸上競技場に他の者の立入りを許さずに実施することを予定していたわけではなく、他の生徒のクラブ活動(例えば本件事故時のようなスタートダッシュの練習等)と同時に行うことを予定していたのであるから、陸上競技場内にいる、ハンマー投げの練習に係わらない他人への安全確保が特に必要な場合であったということができる。

3  そして、このような安全確保のための施設として、本件防護ネットが設置されていたわけであるが、ハンマーがサークル中心から投げられた場合には、扇形中心線から左右に約三七度以上逸れれば、本件防護ネットに妨げられて、外に飛び出さない関係にあったものの、ハンマーがサークル内から投げられた(有効な試技である)場合であっても、最大では扇形中心線から左右に約五〇度も逸れながら、本件防護ネットに妨げられずに外に飛び出す可能性があったのである。

4  ハンマー投げの競技は、四〇度の扇形内に落下させなければ無効な試技となるから、投擲者もそれを目指して投擲するはずであることはもとよりであるが、ハンマーを三、四回も回転させながら手を放すのであるから、その手を放す時期の僅かな違いが飛ぶ方向に大きく影響するのであり、その僅かな遅れによっても、扇形から大きく逸れる結果に繋がるわけであって、右扇形の範囲内及びその近傍だけにハンマーが落下するはずであると即断することは、到底できないのである。そして、右利きの者は、時計と逆回りに回転し、しかも、前方に対し、右側で低く(したがって、左側では高く)なるようにハンマーの先頭を回転させ、その高い位置で手を放す投擲方法がとられるのであるから、手を放す時期の遅れは、左側へ逸れることに繋がることになる。

5  しかも、通常の投擲方法においても、回転段階では、徐々に回転軸及び重心を移動させることによりハンマー頭部を動かし加速させることとされているのであるから、サークル内から投擲動作を開始したとしても、回転するハンマー頭部の遠心力も加わって、回転軸の前方移動が大きくなり、意に反して足が出てサークル外前方に回転軸が移動したり、さらには態勢を崩して、その前方移動が大きくなったりすることは、容易に予測しうるところである。

6  そして、証人矢澤賢進、同木下亨の証言によれば、本件事故時に、矢澤は、サークル内で投擲を開始したことが認められ、この認定に反する証拠はない。ところで、サークル内で投げられた場合(正確には、回転軸がサークル内に止まる状態でハンマーが手から離れた場合)には、扇形の中心線から五〇度以上も大きく逸れれば、ハンマーは、本件防護ネットに妨げられるはずであり、中心線から六五度も逸れた本件事故地点の方向に飛ぶはずはないのである。そうであれば、矢澤は、サークル内から投擲を始めながら、その回転動作中に、おそらくハンマーの遠心力により回転軸を大きく前方に移動させられ、意に反してサークル外に出て、そこで、ハンマーを手から放したものと推認することができる。

また、回転しながら手から放れたハンマーは、その地点から落下地点まで直線的に飛ぶと判断されるが、図②、③からすると、図③表示の六五度線よりもサークル寄りで手から放れたハンマーは本件事故地点方向に飛ぶ可能性がなく、右六五度線より前方でハンマーが手から放れた場合にはじめて、本件事故地点方向に飛ぶ可能性があるとみられるところ、その場合の最短前方移動距離はサークル外周から一メートル程度であることが認められるから、本件事故時、矢澤も、右の程度以上にサークル外に出た位置で(右六五度線よりも前方で)ハンマーを手から放したものと推認される。

7  以上で判断したとおり、サークル内から投擲動作を開始した場合においても、サークル外でハンマーが手から離れる可能性は相当程度に高い。そして、その場合、本件防護ネットは、ハンマーが扇形中心線から左に五〇度以上逸れても防護の役に立たないことがあり、しかも、サークルから一メートル程度外れれば、逸れる角度は六五度にもなることがあって、ハンマーが飛び出す範囲は一層広がり、危険は増大するのである。

8  他方、ハンマーの形状、重量、投擲方法からすると、本格的な回転動作に入って以降にハンマーを放さずに回転動作を中断することは、投擲者にとって著しく危険な行為であるとみることができ、したがって、この段階で例えサークル外に出たり、態勢を崩したからといって、投擲者に回転動作の中断を求めることはできないというべきである。そうであれば、その安全確保については、その場合でもハンマーを手から放すしかないことを前提に考えられるべきである。

9  また、甲二八号証、乙七号証の一、二によれば、ハンマー投げの競技規則においては、防護ネットの前方に幅2.74メートルの移動パネルを固定して取り付けることとされていることが認められる。そして、本件防護ネットの開口部自体を狭めることにより、ハンマーが左右に逸れて飛ぶことを防止することは、試技者に危険を及ぼすおそれがあるとしても、このような移動パネルを防護ネットの前方に設置することには、そのような危険がなく、右のようなハンマーが飛ぶのを防止するために有効な方法であるとみることができ、本件練習場の場合にも、本件防護ネットの前方に、さらに、このような移動パネル等の防護機能を有する施設が設けられていれば、本件事故を防止することができたものということができる。

なお、乙七号証の二によれば、右競技規則においても、練習場についてはもっと簡単な防護構造でも十分であるとされていることが認められるが、安全上、十分であるかどうかは、その練習場の置かれた状況によるのであり、前記2のような状況にある本件練習場について、前記7のような危険性があるのに、練習場であるとの一事をもって、本件防護ネットだけで安全施設として十分であるということはできないのである。

10  ところで、証人矢澤賢進、同木下亨の証言によれば、本件練習場における練習中に、これまで、ハンマーが本件事故地点付近で落下したことはなく、これまで最も左に逸れたハンマーでも、せいぜい本件事故地点から北に約一〇メートル程度の地点に落下したにすぎないことが認められ、原告千葉勝治本人の供述や甲二三号証の二も、右認定に反するものではなく、他にこの認定を左右するに足りる証拠はない。そして、証人木下亨の証言によれば、顧問教諭らも、本件練習場での練習中に、ハンマーが本件事故地点付近に落下することはないものと思い込んでいたことが認められる。

しかし、サークル内から投擲を開始した場合においても、回転軸の前方移動により、ハンマーがサークル外で手から放れる可能性が決して低くないことは前記5、7で判示したとおりであり、しかも、サークル外前方に一メートル程度回転軸が移動しただけで、六五度程度も左右に大きく逸れたハンマーが本件防護ネットに妨げられずに飛ぶ関係にあるのである。他方、速度を上げて回転するハンマーは、手を放す時期の僅かの違いで、逸れる角度が大きく変動することも前記4で指摘したとおりである。そうであれば、サークル外前方への回転軸の移動とハンマーを手から放す時期の遅れとが重なることも、かなりの確度で可能性のある事態とみるべきであって、その場合においては、大きく左右に逸れたハンマーが、本件防護ネットに妨げられることなく、飛ぶことになるのであり、こうした事態の発生可能性は、これまで検討したように、ハンマー投げ競技、投擲方法の特性や本件練習場における練習関係施設の位置関係を子細に検討すれば、容易に認識しうるところであって、これを、本件練習場の設置、管理者にとって、予測することが不可能なことであるとはいえない。

11 以上で検討したとおり、サークル内から投擲を開始した場合であっても、本件防護ネットでは妨げることができない方向にハンマーが飛ぶ事態を予測することができたはずであるのに、また、競技規則においても、本件防護施設のような設備だけでは不十分であるとして、その前方に移動パネルを取り付けると定められており、そのような方法で防護ネットの防止機能不足を補う方法も知られていたのに、これらの移動パネルないしこれに類似する防護施設を付加して設けず、その結果、サークル内で投擲開始されたハンマーにより、本件事故が発生したのであってみれば、右のような付加施設の設置を欠いた点で、前記1、2のような基準で安全性を考えるべき本件練習場としては、通常有すべき安全性を欠いたものと断ぜざるをえない。

12  したがって、被告が設置する学校の営造物である本件練習場の設置、管理に瑕疵があったことになるから、被告は、国家賠償法二条に従い、右瑕疵により本件事故が発生して損害を被った浩司及び原告らに対し、これを賠償すべき義務がある。

二  争点2(損害の範囲、程度)について

1  本件事故当時満一六歳であった浩司は、高校卒業時の一八歳から六七歳までの四九年間は就労することが可能であったとみるべきであるところ、平成六年賃金センサスによれば、新高卒男子一八歳の平均賃金(年額)は、二四四万〇四〇〇円であるから、これを基準に、独身男性である浩司の生活費控除率を五割とし、ライプニッツ式により中間利息を控除して、その死亡による逸失利益を算定すると、その額は、次の算式のとおり二〇一〇万八二八五円となり、原告らは、各自その二分の一ずつの一〇〇五万四一四二円を相続したことになる。

算式2,440,400×(18.3389−1.8594)×(1−0.5)=20,108,285

2  前途有為な若者である浩司は、学校のクラブ活動という予想もしない場で、本件事故のために突然に生命を失ったものであり、しかも、後記三判示のとおり、浩司には本件事故につき何らの落ち度も認められないのである。他方、このような事情で浩司を失った原告ら両親の無念は想像に余りある。そうであれば、本件事故による慰謝料としては、浩司に対する慰謝料の相続分を含め、原告各自につき一一〇〇万円が相当である。

3  また、弁論の全趣旨によれば、原告らは、死亡した浩司のために葬儀を行い、それに要した費用は二〇〇万円を超えることが認められるが、そのうち一二〇万円(原告各自につき六〇万円)の限度で本件事故と相当因果関係があるとみるのが相当である。

4  以上のとおり、原告らが本件事故による損害として賠償を求めうるのは、後記弁護士費用を除き、各自二一六五万四一四二円ずつとなるところ、原告らは、日本体育・学校健康センター等から本件事故による見舞金として合計二七九〇万円(原告各自につき一三九五万円)を受け取っており、これは右損害の一部の填補とみるべきであるから、これを控除すると、その額は、各自七七〇万四一四二円となる。

5  そして、原告らは、本件訴訟の提起、追行を弁護士たる原告ら訴訟代理人に委任したのであるが、これに要する弁護士費用のうち、本件事故と相当因果関係があるのは一五〇万円(原告各自につき七五万円)であるとみるのが相当である。そして、これを加算すると、原告らが、被告に求められる損害賠償額は、結局、各自八四五万四一四二円ずつとなる。

三  争点4(浩司の過失の有無)について

1  本件事故地点、すなわち、浩司がスタートダッシュの順番待ちしていた地点は、本件防護ネット西先端から32.7メートルのマット北西付近であり、また、図②によれば、その地点は、スタートライン東端からは九メートル近くハンマー投げ練習場寄りになるとみられるが、顧問教諭らが、右スタートライン付近は安全だが、マット付近は安全でないとして指導した事実については主張、立証はないのであり、証人木下亨の証言によれば、本件事故時にも、浩司以外にもかなりの者がこの付近で順番待ちをしていたことが認められるのである。しかも、前記一で判示した事情からみても、スタートライン付近とマット付近とで、ハンマーが落下してくる危険性に格段の相違があるとは考えられない。そうであれば、本件事故地点で順番待ちをしたことをもって、浩司に本件事故の原因に繋がる過失があるということはできない。

2  なお、証人矢澤賢進、同木下亨の証言によれば、本件練習場では、補助者を置き、補助者が前方の安全を確認し、「ハイ」と合図してから、投擲を開始するように指導されていたこと、本件事故時にも、陸上部員の長沢が補助者となり、前方確認の上、「ハイ」と合図をしたことが認められる。証人木下亨は、右のような合図があった場合、スタートダッシュの練習をしている者等、他の生徒達もそのハンマーの投擲に注目するように指導していたかのごとき証言をするが、顧問教諭自身がハンマーが飛んでくるとは全く予想もしていなかった地点にいる者に対して、練習を中断してまでこれに注目させるような指導をしたというのは、いかにも不自然であり、たやすく信用することができない。また、仮に、これを信用しうるとしても、右のような認識状態において、生徒にハンマーへの注目を徹底させることは著しく困難なこととみるべきであり、そのような指導を受けたことがあるからといって、浩司が本件事故時にハンマーに注目していなかったことをもって、本件事故の原因となる過失があるというのは当たらない。

3  そして、右のほかに、浩司に本件事故の原因となる過失があったことについては、主張、立証がない。

4  したがって、本件については、原告ら側の過失を理由として過失相殺をする余地はない。

(裁判長裁判官小林克已 裁判官中野智明 裁判官堀禎男)

別紙図面①②〈省略〉

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